Beautiful Plants For Your Interior
日米の仕事をするフリーランスデザイナーの現実、NYの大学で学んだこと。
NYで10年間過ごした。
「グラフィックデザイン」を知って、学び始めて、働いて・・・
デザインについて考えることに大半を費やした。
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ところが日本に戻ってきたら、単位は違うし、インデザインの仕様も違うし、そもそも紙のサイズが違って絶望。
帰国して1年目は、これらの学び直しに時間を使ったと思う。
特に「単位」についてが厄介。まだ混乱するときがある。
数学的センスが足りていないせいかもしれないけど、1 mm、1 pt、1 inch、1 Q・・・泣きたくなるときがある。
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インデザインはAdobeのツールで、仕事で毎日使うわけだけど、確実に日本版の方が複雑。
もう慣れたけど、最初は泣いた。
紙は日本ではA4だけど、アメリカではレターサイズ。
白紙を見比べたときの違和感はおそろしい。
なぜ私は日米を行き来する生活を選んだのか・・・。
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場所や時間や言語にも縛られずに働きたいと思っていた夢が叶っている。
だけど単位とかインデザイン2つインストールする必要があるとか、聞いてなかった。
「好きなところにいたい」という思いが強すぎて、フリーランスのデザイナーになったわけだけど。
意外とデザイナーの必須アイテムは多い。全然身軽ではない。
まずラップトップで仕事をするのは不可能なので、大きいスクリーンのデスクトップが必要。
この時点で場所は限定される。
紙見本に色見本。フリーランスなので自前で揃える。場所もお金もかかる。
それでも今の仕事が好き。
帰国して学び直しに時間もお金もかかったけど、それは「ガワ」の話。
そもそも学びは一生続く。
とりあえず、NYで学んだことの「本質」は活かせていると思うし、10年間は無駄ではなかった。(と思いたい。)
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NYで学んできた本質は一体何か?というと、つまり「言語化能力」であると思う。
コンセプトの力であったり、オリジナリティの見つけ方と言ってもいいかも。
(今でも学び続けているものだけど。)
アメリカの大学での授業は毎回プレッシャーだった。
まず課題をこなすということが第一の試練。
課題は多い。デザイン科だったので、何かデザインしてくる課題だけど、とにかく時間と戦う毎日。
フォトショップを使おうが、アナログでコラージュしようが、何をどうしようが自由。
アプリケーションの使い方は教えてもらえない。Adobeの超基礎のクラスのあとは、基本的に独学。
とにかくどんな手法でも、最善と判断した方法で課題をこなす。
次にプレゼンという試練。
何でこれを作ったのかという説明。コンセプトが曖昧だと刺される。血祭り。悲惨。
言葉に詰まると負け。英語の問題ではない・・・。
最後の試練は、ヴィジュアル的にクールかという問題。
コンセプトが良いだけじゃやはりダメで、見た目も素敵でなければいけない。
なぜパッとしないのか?を言葉にできなければ、適切な修正もできない。
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私にとっての学校は、全てのステップにおいて「言語化する」訓練の場だったように思う。
言語化の重要性に気づけたことは、留学生活で得たものの中で一番価値があることかもしれない。
そもそも英語という言語が、ちゃんと伝える意思を持って話さなければ何も伝わらないという性質がある。
大学に行かなくてもデザイナーになれるのでは?
という意見もある。
独学でデザインで成功する人もいるわけだから、確かに。
必ずしも大学で学ぶ必要はないと思う。
ただし私の場合に限って。
何も知らない状態から、独学で今現在の自分のレベルまでくるには、あと5年以上はかかる気がする。
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自分で自分を追い込むのって難しいですよね。
強制的に、継続して、追い込んでくれる大学というシステム。
すごく親切。すごくスパルタ。
学校の最大の価値はそこにあったのかなと思う。
大学ってどうなの?留学ってどうなの?
と聞かれることがあるので、これが私の答えということにしておきます。
おすすめは、します。基礎体力がつきました。
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卒業してから何年経ったかは数えるのをやめていますが!
デザインは日に日に面白く、仕事も日に日に面白い。
とにかく今はフリーランスで、学校どころか会社という縛りもなく羽ばたいちゃっている。
自由って素晴らしい。
だけども今度は学校がしてくれたことを、自分でやらなくてはいけない。
課題と締切がなければ、いくらでもサボれるものね。
停滞してはだめだと奮い立たせて、今日も励む。
NYの大学で得たもので、今に活かせていると思うことについて書きました。